介護現場の現実と、これから私たちが目指すもの
私は看護師となり約40年間、医療現場、介護現場で仕事をしてきました。
そのうち介護現場にいた約30年間は、介護スタッフの教育、現場の業務改善、高齢者ケアの在り方、終末期ケア、そして意思決定支援について学び、知識を深めながら実践してきました。
しかし、ここ数年、ヨーロッパの介護施設を視察する中で、日本の介護の現実について、あらためて考えさせられることが増えました。
日本の介護現場は、日々懸命に働く職員たちによって支えられています。
一方で、私たちが本来目指すべき「高齢者の尊厳を守るケア」が、十分に実現できていないのではないかという想いもあります。
介護職の労働環境
超高齢社会となり、看護師だけでは支えきれないケアが増えました。
医療だけではなく、生活を中心とした総合的な支援が求められる中で、介護職という仕事の役割はますます大きくなっています。
2000年に介護保険制度が始まった頃、介護福祉士の資格を取得し、現場に出てきた介護職の方々には活気がありました。
介護業界の未来に対して、明るい夢や希望を感じていたことを覚えています。
しかし現在、介護職を取り巻く労働環境は、年々厳しくなっているように思います。
慢性的な人員不足。
求められる書類や記録の多さ。
複雑化する制度対応。
十分に上がらない賃金。
そして、現場にかかる身体的・精神的な負担。
介護現場では、実際に利用者さんと関わる時間よりも、書類作成や記録、制度上必要な業務に多くの時間を取られてしまうことがあります。
もちろん、記録や書類は安全で適切なケアを行うために必要なものです。
けれど、それがあまりにも多くなると、本来最も大切にしたい「人に関わる時間」が削られてしまいます。
少ない人数で多くの利用者さんを担当しなければならない現場では、どうしても一人ひとりに十分な時間をかけることが難しくなります。
その結果、ケアの質を保つことが難しくなり、介護職自身も心身ともに疲弊していきます。
疲弊した職員が退職し、補充も難しくなる。そして、さらに人手不足が進む。
この悪循環は、多くの介護現場で深刻な課題となっています。
介護職の労働環境が改善されない限り、高齢者の生活の質を守ることも、職員が誇りを持って働き続けることも難しくなってしまいます。
高齢者の尊厳を守るとは
高齢者が自分の意思で生活できる環境を整えることは、とても大切です。
しかし現在の介護現場では、限られた人手と時間の中で、一人ひとりの想いやニーズに十分に応えることが難しい現実があります。
例えば、食事です。
多くの施設では、食事の時間は決められています。
メニューを自由に選べるわけではなく、食べる時間も場所も、施設の流れに合わせることが多くなります。
集団生活である以上、仕方のない面もあります。安全管理や厨房の体制、職員配置を考えると、すべてを個別に対応することは簡単ではありません。
けれど、その中でいつの間にか、利用者さんの希望よりも、施設の都合や職員の業務の流れが優先されてしまうことがあります。
数年前に視察したフィンランドの介護施設では、外部の方も利用できるブッフェ形式のレストランで食事が提供されていました。
レストランが開いている時間であれば、好きな時間に利用することができます。好きなものを、好きな量だけ食べることもできます。そして、スタッフがその生活の流れに合わせられる時間と体制がありました。
日本では、なかなか同じようにはいきません。
けれど、その光景を見たとき、私はあらためて考えました。
高齢者にとっての尊厳とは、特別なことだけではありません。
「いつ食べるか」
「何を食べるか」
「どこで過ごすか」
「誰と関わるか」
そうした日々の小さな選択の積み重ねの中に、その人らしさがあるのだと思います。
高齢化が進み、認知症を抱える高齢者や、終末期にある高齢者はますます増えています。
その中で、介護職は限られた人数で、多くの方の生活を支えなければなりません。
日々の業務に追われる中で、一人ひとりの想いに十分に耳を傾けることが難しい。
個別のケアをしたくても、時間も人手も足りない。そのような現実があります。
この状況が長く続き、むしろ厳しさを増していることは、とても深刻な問題です。
高齢者には、身体的なケアだけでなく、心の支えや社会とのつながりも必要です。
その人が尊厳を持って生活できる環境を整えるためには、制度の見直しと、現場の環境改善が欠かせません。
そして何より、現場で働く介護職がより良い環境で働けるよう支えることが、質の高いケアに直結すると私は考えています。
介護職の価値を社会で支える
介護職そのものの魅力を高めることも、とても重要です。
労働環境の改善。賃金の引き上げ。キャリアパスの明確化。教育体制の充実。
そして、介護職への社会的な理解と評価。
これらは、介護の質を守るために欠かせないものです。
介護職は、ただ日常生活を手伝う仕事ではありません。その人の人生の最終章に関わり、日々の安心を支え、その人らしい生活を守る仕事です。だからこそ、介護職が社会から正当に評価され、誇りを持って働き続けられる環境が必要です。
介護職が大切にされることは、利用者さんが大切にされることにつながります。
職員が疲弊しきった現場では、どれほど想いがあっても、丁寧なケアを続けることは難しくなります。
高齢者の尊厳を守るためには、介護を受ける人だけでなく、介護を担う人の尊厳も守られなければならないのです。
尊厳を守るケアとは
私たちが目指すべきは、高齢者と介護者が共に尊厳を持って生活できる社会です。
高齢者のケアは、単なるサービスの提供ではありません。
その人の人生に深く関わり、その人が大切にしてきたものを共に守っていく営みです。
尊厳を守るケアとは、身体的なケアを行うことだけではありません。
その人の価値観
意思
生活習慣
人生観
人とのつながり
そして、最期までどう生きたいかという想い
それらを大切にしながら、その人らしい暮らしを支えることだと思います。
食事の時間や方法、生活環境、入浴、排泄、会話、趣味、社会参加。
一つひとつは日常の小さな場面かもしれません。
けれど、その小さな場面の中にこそ、その人の尊厳があります。
また、高齢者は身体的な衰えだけでなく、孤独や不安を抱えていることもあります。
だからこそ、心のケアも大切です。
温かな対話
安心できる関係
趣味や役割を持てる機会
社会とのつながり
自分で選べる場面
こうしたことが、その人の生活の質を支えていきます。
尊厳を守るケアは、決して特別なことだけではありません。
日々の関わりの中で、「その人は何を大切にしているのか」と問い続けることから始まるのだと思います。
社会全体で支えるケアへ
尊厳を守るケアは、介護職だけの努力で実現できるものではありません。
制度地、域、家族、医療、介護、行政。そして社会全体の理解。
それらがつながって初めて、高齢者が安心して暮らせる環境が生まれます。
介護職の責任感や努力だけに頼り続けるのではなく、社会全体で支える仕組みをつくることが必要です。
地域社会との連携を強めること。
ボランティアや地域住民が関わる場をつくること。
介護職が学び続けられる環境を整えること。
現場の声が制度に反映される仕組みをつくること。
そうした一つひとつの取り組みが、高齢者の尊厳を守るケアにつながっていくのだと思います。
おわりに
高齢者の尊厳を守るためには、現場の課題を見つめ、具体的な改善につなげていく必要があります。
介護職の待遇改善や労働環境の整備は、その第一歩です。
そして、地域社会との連携を深め、高齢者を支える仕組みを社会全体でつくっていくことも大切です。
私たちが目指すべきは、高齢者と介護職が共に尊厳を持って生きられる社会です。
介護を受ける人も、介護を担う人も、大切にされる社会。
人生の最終段階にあっても、その人らしさが守られる社会。
そして、ケアに関わる人たちが誇りを持って働き続けられる社会。
その実現は簡単ではありません。
けれど、現場で起きていることを見つめ、声にし、できることから行動していくことはできます。
私はこれからも、自分が見てきたこと、学んできたこと、そして海外のケアの現場から受け取った気づきをもとに、高齢者の尊厳を守るケアについて発信していきたいと思います。



